Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル 番外編

    “錦秋白露”
 



 秋も深まり、空気も冴えて。朝晩に肌を撫でる風が妙によそよそしくなり、仄かな玻璃を含んで透き通ると同時、素っ気ないほど冴え返る頃合い。空の青が高くなると、山々は北の頂きから順番に、それは見事な錦の衣を羽織り始める。あれほどまでにも瑞々しい緑にあふれ、強い夏の陽射しの中では木下闇の黒との拮抗も鮮やかに、その存在感も躍動に満ちていたものが、今は。秋めいた金風に次々とその梢を塗られては、近づく落葉を前にして、最後の彩りも艶やかに、無言のままに風舞に揺れる。常緑の杉を取り巻いて、鬱金の槐
エンジュ、黄金の銀杏、深紅の桜に紅蓮の楓。山々の稜線に沿って、奥行き深くも重なる七彩。

  ――― ざぁ………っ、と。

 急な驟雨か、はたまた遠い潮騒を思わせるよな。乾いた音を突然に蹴立て、木立ちがうねる、錦紅の梢が躍る。こんな季節でも青々と居並ぶ緑竹の、その強靭な鎗の林の只中を。衣の裾さえ掠めもせずに、一迅の疾風が擦り抜けるかのよに翔けゆく影が一つあり。足元にうずたかく降り積もった古葉さえ物ともしない、俊敏で軽やかな疾駆が右に左に、降り落ちる陽射しさえをもからかうように、林の中を駆け抜けてゆく。そうまでの自在気儘な跳梁が、だが、

  「…っ!」

 不意にひたりと立ち止まると、何とも麗しき姿が端然と露になった。周囲に生い立つ若竹の、瑞々しくも強靭な、青の息吹に決して負けぬ存在感。軽快な身動きを優先してか、袖も懐ろも随分と細く絞った着方の狩衣の、秋色襲
かさねに包まれし、長身痩躯の何とも嫋やかで玲瓏なことか。山野の草木を繊細巧みに織り出しし、豪奢な錦衣が放つ華麗ささえ恥じ入るほどの威容にて。すらりと立ったその背に浴びし、重陽独特の澄んだ金の光を受けてなお、淡く輝く金の髪に真白き肌目。同じ陽に透けて輝く色合いもそれは妖冶な金の茶の眸が、今は鋭く見張られて。無言のままに全身全霊、周囲の様子に殊更の意識を配っている模様であったが、

  「…そっちか。」

 袖の袂
たもとのあそびも浅い、萩の襲の裾を膝辺りへひるがえし。彼自身が風であるかのように駆け出して、微かながらに捕らえた気配を追いかける。決して土地勘がある林ではない。なのに、初見とは思えぬほどの的確な判断で、最も効率がいい道程で間隙の相当詰まっていた竹林を駆け抜けて。一瞬だけの闇、鬱蒼とした木立ちへ飛び込めば。かなぐるような勢いで次の刹那に視野へと広がるは、金と紅が満ちあふれたる、絢爛豪奢な秋彩の世界。早々と紅葉が始まっていた北山の、人跡未踏の“奥の院”まで。遠い行脚を強いられたその終着地だと気がついて、やはり用心しつつも足を止めれば、

  《 ようも、貴様…。》

 姿は見えぬが、声がして。随分と執拗な追っ手であった青年へ、忌ま忌ましげに呼びかけて来る。

  《 妾
わらわの美しき禁苑を、ようも穢してくれおって。》

 秋の野山にはお似合いかもな、キジの声にもどこか似た。きちきちきち…と甲高い節のところどころに立つよな声音は、到底 人のものとは思えぬそれで。憎々しげな言い回しからして、恨み言のつもりなのかもしれないが、
「“美しき禁苑”だ? あんな趣味の悪い“牧場”の、どこが。」
 はっと思い切り突き放すように、すっきり通った鼻先で嘲笑い飛ばした青年は、当代随一の神通力と誉れも高い、ついでに…その天衣無縫な振る舞いの、例を見ないほどのお行儀の悪さから“悪名”だって負けずに高い
(おいおい)、蛭魔妖一という神祗官補佐。官吏としての階級の高さのみならず、実践的な咒を多彩に操る陰陽五行の術使いで、それだけ見たって今時には稀なる存在。その地位に就いてからこっち、封印滅殺してきた邪妖・悪霊は数知れずではあるものの、
「美貌の姫だか公達だか知らねぇが、話題の若いのを片っ端から攫っていっちゃあ、苔だらけの広っぱに寝かせとくだけ。菊人形でも今日びのは、仕掛けがあって愛想くらい振るぞ?」
 そんな芸のないもんを、しかも地脈の要の聖域の真上なんぞに勝手に作りやがってよ。お陰でこちとら、ここ数日ほどずっと、頭痛はするわ食欲は落ちるわ。それをまた、血の道の病かなどと、よー判らんもんで気遣う奴まで出て来た日にゃあ〜〜〜〜っっ!

  「あんなもんは、叩っ壊されて当然っっ!」

 大威張りの仁王立ち。もしかしたなら半分ほどは、いらいらが嵩じた末の八つ当たりなのかも知んないが。じとじとと陰鬱なばかりだった“禁苑”とやら、大地から水という水を吸い上げさせる、そりゃあ大掛かりな“渇きの咒”にて、一気にかんからに干上がらせた術師殿。そこへと巣食っていた苔だか海松
みるだかの邪妖を叩き起こし、逆らうならば火を放つとまで脅して…一番慌てたのは、他ならぬ。同行していた黒の従者と、瀬那の供の憑神様だったりしたのだが。
『おいこら、待たんかっ。』
『大地の気脈に、これ以上の影響を与えるつもりか?』
『え?え? でもでも、もうこんなカラカラにしちゃったのに?』
 そっちがよほどに“人で無し”な、相変わらずの無茶苦茶な対処。それを、口先だけでなく本当にやっちゃいかねない、類のないほど強引な一行だと悟った上で、これはかなわんと察したか。逃げを打ったのが人攫いの邪妖の方であり、
『あ、待てっっ!!』
 二度と再び、あんなふざけたもんを作らぬようにと。被害者たちを都まで返すのはセナと進の二人へ“任せた”と押しつけてから、邪妖本体を封じんとばかり、半日かかったここまでの遠乗りを駆けて駆けて駆け抜けて、やっと辿り着いたる正念場。既にほとんどの木々が色づいており、かなりの山奥と察せられ、地の利があるなら相手に有利…かと思いきや、
「さあ、観念しな。」
 錦の袖がばさばさと、切れのいい所作に振られて躍っては風を叩く。鋭く切れ上がっていた目許が静かに伏せられ、綺麗な白い手が宙へと数々の印を刻んでゆき、伸びやかな声が厳かに、張りのある力を満たした咒を唱えれば、
《 う…。》
 見る見るうちにも術師の痩躯が、まとった錦の衣さえ透かすほどの光を発し、端麗な姿の輪郭を縁取って、一際鮮やかな威光が満ちる。人が滅多に分け入らぬほどの深山の精気はその密度も濃く、殻を持たない陰体にはその身を解放しやすくなって有利なのかもしれないが。その同じ条件が、この術師に限っては“一方的な有利”にはならないから恐ろしく…じゃなくて頼もしく。

  “…何者なのだ、この童っぱ。”

 梢の天蓋にて空さえ覆って、視野を埋めるは紅葉の妙なる色襲
いろがさね。紅と金の様々にとりどりの濃淡が、秋の陽を受け、無秩序ながらも深く浅くに展開し、それは見事な綾錦を成す絶景。奥行き深く、吸い込まれてしまいそうなほどの、見た目の艶やかさに息を呑んだ者が次に気づくは、神威を満たして森閑とした無音の空間。風の音さえ静謐を際立たせ、葉影の揺れる様に心を奪われ、気の小さい常人ならばあまりの畏怖に蹲っているところ。深山の威容や神秘に呑まれ、本人の生気さえ差し出すような、そんな畏れ多い空間であろう筈が。この青年にだけは、そんな怯えの素振りなぞ欠片も見えず。むしろ、周囲の霊気をこれ幸いと、自身の意勢へと吸収してでもいるかのようで。
《 ひ………っ!!》
 ともすれば神々しいまでの彼の威容に…逆に射竦められたのか。邪妖の側が金縛りにあっているところへ、すう…っと開かれた金茶の玻璃の。その目許に強く宿るは、よくよく練られた意志により、キツく縒られた念じの意勢。

  「選りにも選って、この俺様を怒らせたのが運の尽き。
   そのまま大人しく昇天せしめいっ!」

 聞きようによってはこうまで勝手で乱暴な封印の詞もないような気がするのだが。
(う〜ん) まま、人心を徒に騒がせたその上、かどあかしという悪行まで働いたほどの邪妖には違いなく。煌めく金の額髪、その下へぽうっと灯ったは、アンズほどもの光玉が一つ。そこへとかざした指の先、まるでハイカラな異国のご挨拶のように、そのまま“はいちゃ”と相手へ振り降ろせば、

  《 ひぃいぃぃぃっっ!!》

 多少は知恵のある負界からの陰体なればこそ、触れるのさえも恐ろしいのが、日輪に等しい陽力の塊り。それを自在に練ることの出来るほどの存在は、たとえ陽界にさえ滅多にない筈が…それへとわざわざ当たってしまったのだから。その点へだけは確かに言えてる、身の不運というものかも知れずで。あまりに精気の濃密な、時まで止まっていたよな空間さえ歪ませて、宙を滑空して来た必殺の光玉の襲来に。余程のこと、なりふり構わず慄いたそのお陰か、確かにそこにいた古楓の大樹の梢から、勢い余ってぼとりと落ちた影一つ。紙一重で避けた光玉の方は、邪妖の張ったものらしき、結界の陣をも突き抜けて。秋の澄んだ空へと飛んでゆき、蒼穹の遥か彼方で星になり、
「…なんだ、サルの変化
へんげだったのか、お前。」
 ここへも敷き詰められていた、落ち葉の絨毯のその上へ。ちょいと無様にも落ちて来た邪妖の姿へと、麗しき…ちょ〜っと怒ってた術師の青年が気が抜けたと言いたげな声を出す。
「人語が判るのは人里近くにいたからか? 年経て得たりしその姿とその力、もっと有効に使っておれば良かったものを。」
 大方、人さえ凌げる者になれるぞと唆
そそのかされて、闇の邪妖の眷属に落ちたのだろうがと、溜息混じりに呆れれば、

  《 それの何が悪いっ!》

 実はよっぽど自分の方こそが、童並みの小さなその身を震わせて。サルの変化はキィキィと叫んだ。

  《 お前らだとて、
    大した大望もなければ優れたる人格でもない者ばかりでおるくせに。
    数と道具に任せての狼藉、
    我らの住処を蹂躙し、山野の住民たちを狩っておる。
    強い者の欲求だけが世の正義や条理として通るなら、強さを求めて何が悪い。》

 間違ってるならまずは自らを正せとでも言いたいか、それは猛々しくも叫ぶ邪妖に、だが蛭魔は冷然としたもの。
「確かに人とは勝手な生き物だ。」
 牙も爪も持たず、あるのは小賢しい知恵だけ。そこでと寄り合い助け合った仲間でさえ、用がなくなれば…邪魔になれば平気で殺しもする。強い者だけが生き残り、強い子だけを残すのが“自然”なら。知恵が回って小賢しく、表向きだけ“弱い者の味方だ”と言い張り、支持の頭数だけを集めた輩が頂上へ駆け上がって生き残るのだから、人の世界は確かに不自然だわいなぁ。
「だからこそ、お前ら獣との一線を分かつたほどにな。」
 別に言い諭す必要もないところだが、そして…人間を庇うつもりも毛頭持たない蛭魔だったからこそ、

  「鬼畜生にも劣る“人間”と同じへ。自分から堕ちて、お前ってばどうするよ。」

 それこそ呆れたと冷然とした声で言い放ち、光の攻撃の第二陣、額へと揃えた指先を差し当てれば、
《 くっ!》
 小さな邪妖が悔しげに歯を食いしばり、だが…ハッとすると、足元の枯れ葉の中に何かを見つけた。

  「邪妖封滅っ!」

 高らかな咒詞の宣言と同時に、再び繰り出されたは先程よりも発光の度合いの濃さも上の、間違いなく威力を増した攻撃が放たれた…かに思われたのだが、

  《 これでも食らえっっ!!》

 邪妖がこちらへ放ったものが、蛭魔の視野の中ほどで乱反射をし。その一瞬の反応だけで全てを察してチッと舌打ちした術師殿。一体誰の落とし物やら、こんな深山、この邪妖が自慢の結界を張っていたほどの奥山だというのに、そこに落ちていたらしきそれは…明らかに人造のもの、鏡の欠片だったから忌ま忌ましくて。
“しかも、玻璃と水銀の鏡だと?”
 極東の端っこの島国には、まだまだ銅を磨いた鏡しかない時代だというに、一体どこの先進国の間諜が、京の都に程近い、北山の奥の院へと潜んでいたやら。いや、今はそんな詳細はどうでもいい。光の攻撃は確かに陰体には絶対だけれど、最短最強最速のその威力、壁や障害物の後ろに回られては届かないし、鏡や水面へと真っ向から当たれば、その威力、分散されて易々と弾かれる。
「わっ!」
 こちとら真っ当な陽世界の存在だから。光を浴びたからって溶けたり燃えたりこそはしないけれど。目映い閃光に視野をまともに叩かれてしまい、しかも…背けたことで額の一角へと逸れはしたが、その鋭利な端にて肌を切ったか、生ぬるい感触が頬にまで届いて、視野がますますの紅に染まる。
“…しまったっ。”
 相手は陰体だとはいえ、姿を現したほどにその霊力は衰えている。そうともなると、霊力探知は意味がなくなり、逆に視界が利かないのがこちらの不利となりかねず、
「くっ!」
 無理から瞼をこじ開けたものの、選りにも選って視野の真ん中、焦点を合わせる只中に、それはでっかい残像の痣が浮かんでおり。これはどうやら一時的な網膜への焼き付き状態というやつらしく。
“まずいな。”
 人はその感応器の中で、視覚をもっとも優先する生き物だから。突然の暗闇に怯えない者が少ないように、突然視覚を断たれると、その感覚の大半をもがれたも同然となる。
“耳だけで気配が拾えれば良いが…。”
 中途半端に見えるのが却って邪魔で、集中しにくい。いっそ目隠しでもすれば良いのかもしれないが、見えていないこと、相手へ悟られるのも癪だったから、
「…っ。」
 ぶんっと。風を切って飛んで来た、念の攻撃から身を躱す。まだこんなもんが使えるとなると、ますますのこと油断は出来ないが、さてどうしたものか。

  《 …ほほぉ。なかなか綺麗な面になったの。》

 相手の声から怯えが消えた。こちらばかりが優勢ではなくなったこと、さすがに気がついたらしくって、
《 偉そうに説教してくれたが、成程、人とは愚かな生き物であるらしい。》
 くくと嘲笑って、何かを拾い、さして大きくもない手のひらに、ちゃらちゃらとその欠片を転がしている音。鏡の欠片はまだあったらしく、
《 人はこんな綺麗なものも作るのだな。しかも野辺へと簡単に捨て置く。》
 それにて足を掬われた気分はどうだと言いたげに、紡いでそれから、
《 次こそは当ててやろうぞ。そうしてもっと、綺麗な紅を引いてやる。》
 視界を塞ぐ、赤や緑の焼きつきの痣の中、何やら別の光が見える。精気を練っての念の塊。さっきは避けたがこっちを試したそれだったから、今度は容赦のないものが飛んで来るに違いなく。
“動じずに受けて、その進路で位置を割り出すか?”
 だが、それではこっちが集中する間にあっさりと移動されて終わりかも。少しずつながら、邪魔な残像の痣も薄れつつある様子ではあるけれど、相手は小さくて素早いサルなだけに、まだまだ追うのは容易ではなく、

  《 さあ、喰らいなっ!》

 声がしたのは真正面。だが、その距離と先程の威力とならばと身構えたよりも随分早くに、周囲の空気が大きく歪んで、強い炸裂とその衝撃とが、まだ触れぬ内から肌を震わせるほど、こちらへも伝わって来た…のだが。

  “………え?”

 まだ衝撃には触れていない。確かに、何か大きな“気弾”が弾けた気配は拾えたし、爆風のようなものが届きもしたが。小賢しい知恵を回した邪妖によって、掛け声よりも先に、数歩か手前から投じられたのだろうと状況は悟れたが。肝心な攻撃の威力とやらは全くやって来ず、その代わりに………。

  ――― がさり・ごそり、どすんと。

 枯れた落ち葉を踏みしだき、何かが間に現れた音。しかも、その“何か”がこの足元へまで、どさりと力尽き、頽れて落ちる気配もしたから………血の気が引いた。誰かが。蛭魔の危機を目の当たりにし、しゃにむに間へと立ちはだかったのではなかろうか。後を任せて邪妖を追った、そんな自分をさらに追って来られる者と言えば。時々、言い置いた以上のことを、お節介にも手掛けるお人よしと言えば。

  「………は、ばしら?」

 まだよくは見えない目を、それでも見開き、おぼろな視線で足元をまさぐる。そろそろ夕刻間近いらしい、弱まりつつある木洩れ陽の中、枯れた落ち葉に埋もれるように、黒々とした何かが…自分の陰とは別に横たわっているのが判る。膝を落として手を伸ばせば、仰向いているらしく、こちらの端には覚えのある髪の感触。適当な長さのままに束ねて結うこともなく、真っ直ぐな黒髪を椿の香油で揃えているのが、今は無残にもざんばらに散っており。その先へと延ばした指が触れたは、あの精悍な顔なのだろうが、

  「…あ。」

 屈み込んで間近になって、何とかおぼろに見えたるその頬に。べっとりと濡れて染まりしは真っ赤な鮮血。身動き一つしないままの、その男臭い横顔に。何とも惨く、顔の半分もを覆って赤くまみれた痛々しさに、触れることさえ憚られたその手が、大きく震えてそれから…ぐっと。堅く結ばれ、術師の胸へ。

  「………貴様。」

 ここが深山の霊気に満ちた場所であったこと。それがこの邪妖には…これ以上はないほどの不幸中の大不幸であったらしく。ゆらりと立ち上がった年若き術師のその総身から、辺りに満ちた霊気を全て、一気に束ねられるだけの“凌駕・制覇”の気色が立ち上ったから恐ろしく。

  《 な…っ!》

 自然の、それも、大地や森というよな“環境”規模の空間に満ちた精気や霊力は、多少削って借りることは出来ても、そのものをどうこうと動かせる次元のものではない筈で。だというのに…この青年は、その身を核にし、周囲の精気を全て掻き集めんという勢いで、無尽蔵な霊気をどんどんと集め、強く練っては膨張させている。あれほどまでに森閑としていた、この邪妖のための舞台だった筈の亜空間が、今や。吹きつける突風に木々は梢を揉まれ、まだ時期が早いそれをはらはらと、舞い上げては散らす金紅の葉が、無残な赤い雨のように降りしきる、荒れ狂う嵐の只中の惨状へと変貌しており。彼の中の怒りに灼かれて、熱く練られた精気の塊は…やがて。まだまだ早い夕陽のように、途轍もない規模の炎弾と化し。この吹きすさぶ疾風も物ともしないで、すらりとした狩衣姿の痩躯の頭上へと、悪夢のような巨塊となって浮き上がる。それを指差すようにして、じっと支えていた青年導師の片腕が、何の宣言もないままに。振り下ろされて。

  《 ひ、ひいぃぃぃっっっ!!!》

 選りにも選って、一番触れてはならない、壊してはならない、傷つけてはならないものへの無体を働いたのだから。蛭魔の側からしてみれば、これはこれ以上はないほどの“自業自得”であったのだけれど。周囲の空気ごと どんっと弾けて、跡形もなく。問答無用で陰さえ残さずの封滅をされた、あの邪妖にしてみれば…やはり運が悪かったと言うより他はないのかも。というのも、


  「………ってぇ〜〜〜〜。あんな ちびすけが何て気弾を撃ちやがるかな。」


 がさかさという音がすぐ足元からして。はい?と、声がした方を蛭魔が見下ろせば。濡れた落ち葉を黒い狩衣のあちこちに張りつけた葉柱が、やれやれと言いながら上体をむくりと起こしている、その真っ最中。引っ繰り返ってから以降の騒ぎとか気配とか、届いてなかったということは、意識がなかったほどの衝撃を、その身に確かに受けはしていたらしいのだけど、
「お前…。」
 幽霊でも見るかのような、魂は何処さやっただと訊きたくなるよな、真っ黒な声を出した蛭魔に気づいてだろう。肩越しに振り返る格好にて顔を上げた彼の頬から、はらりと落ちたは大きな楓の葉が1枚。そうだと判るほどにやっと視力が戻った蛭魔が、事の次第に気づいて唖然とする暇間…さえ与えずに、

  「あ〜〜〜っ!!! お前っ、そのデコはどうしたよっ!」
  「あ?」
  「あ、じゃねぇよ、あじゃ。切れてんじゃねぇか、ほら見せろっ!」
  「………。」
  「あ〜あ〜、口の端も切ってやがる。少し染みるが我慢しな?」

 大きな図体が立ち上がりながらの大慌て。屈強精悍、それはそれは男臭い顔を情けないほど困らせて。長い腕をぐるりと回し、宝物のようにこちらの痩躯を包んでくれて。掻い込まれたそのまま、そぉっと…まずは額へその唇が触れて。そこから伝わってくるのは、愛しい相手を癒すための優しさと温もりと。

  “………ああ、温ったかいのな。”

 凍っていた心が、やっとのことで ふわりとほどける。何もかも忘れて頭の中で何かが弾けたそれ以降、自分でもどうしようもないほどに堅く強ばっていたのにね。誰のせいでの硬直なのだか、それを思えば無性に笑えて。

  「…蛭魔?」

 怒るのはいつでも出来るからと、誰もいない金紅の空間の中、込み上げて来た笑いに素直に身をゆだねた術師殿だったそうですよ?








            ◇



 何だかよく分からないのだけれど。よほど首尾よく仕留められて機嫌がよかった彼だったか、いつまでも笑い続けるものだから。途中で止める訳にもいかなくて気が済むまでを笑わせておき。それからやっと…顔を見ると笑いが止まらぬと失敬千万なことを言い出した、これも彼からのご命令。広いその背中へおぶって帰って来た葉柱と蛭魔を、屋敷で待ち受けていた小さな書生くん。攫われていた人々を送って行った先々で、たっくさんのご褒美をもらいましたと、それは嬉しそうに報告したが、
「そか…。」
 おやや、お館様にはあまり嬉しくなさそな気配。山と積まれた絹や珊瑚に、金銀宝玉。珍しそうな巻物に、壷に彫刻、お菓子にお花。収穫されたばかりの山の幸に海の幸。それらをご披露したところ、あまり気のない顔をして、それでもセナのことは“いい子いい子”と何度も何度も撫でて下さる。
「お前も今日はご苦労だったな。疲れたろうからもう休め。」
 そうそう、好きなものを持ってっていいぞと付け足して、どうやらこの褒美が気に入らないお館様だったらしく、

  「はっきり言ってやりゃあ良かったのによ。」
  「ご褒美じゃなくて“口止め料”だってか?」

 邪妖なんぞに攫われたなぞと、外聞が悪いったらありゃしない。助けて下さったことへは感謝もしますが、それにも増して。どうか他言下さるなと、暗黙のうち、そうと言いたい貢ぎ物。純真なセナには、まだそこまでを伝えぬでも良かろうさと、肩をすくめて広間へ運ぶ。もうすっかりと宵も更け、澄んだ夜空には真珠色の月。
「…本当に。人にも、邪妖にも、様々な輩がおるよの。」
 こうまでの文化を持っておるのに、こんなちっぽけな島国にまで食指を動かしてるらしき、列強国とその指導者がいるらしい証し、玻璃の鏡の小さな欠片を、その手に忌ま忌ましげに見下ろす術師であり。賢いつもりで繰り出した小難しい権謀術数に、逆に振り回されてしまい、もはや後に引けなくなっている大馬鹿者も山ほどいるが。自分が日頃から気を許しているよな、馬鹿がつくほどの正直者とか、賢いけれど抜け目もないけど、揺るぎなき何かを芯に呑んでる小癪な奴らだとか。そんな気の利いた連中ばかりだったなら、もうちっとはお前らにも住みよき世界になっておろうに、と。勢いに任せて退治してしまった小さな邪妖へと、手向け代わりの澄酒で清めてから白磁の皿に並べた破片を濡れ縁へと置く蛭魔であり。
「???」
 何が何だか、何のまじないなんだかさえ判らぬまま。それでも…月光を受けて銀色に煌めく玻璃の欠片は、そりゃあ綺麗だったから。今日はいつにも増して捕らえどころがない盟主の冴えた横顔、ただただ無言でうっとりと、眺めて過ごす、果報者の蜥蜴の総領様でありましたそうな。


  ――― 人もそれぞれ、邪妖もそれぞれ。





  〜Fine〜  05.10.20.


  *ただただバタバタしてただけという感じのお話で申し訳ありませんです。
   何だかなという顛末でしたが、
   お館様には楽しかったし、感慨深くもあった一日だったということで。
   ああ、そういえばあんまり阿含さんを出せなかったですね。
   だってもうそろそろ冬籠もりですよ、あの人“蛇”だから。
(笑)

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